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広島仏壇とは?


私たちの技術は長年仏壇の製造にたずさわる中で培ってきたものです。

特に、広島の仏壇は広島仏壇として昭和53年に伝統的工芸品に指定されています。

 

ここでは、広島仏壇の特徴と歴史について説明します。

広島仏壇
広島仏壇

◆広島仏壇の特徴

広島仏壇は、金仏壇です。仏壇には、大きく分けて「唐木仏壇」という木の地肌の美しさを活かした仏壇と、漆塗りと金箔装飾が豪華な「金仏壇」があります。最近は、仏壇の形も多様化し、このカテゴリーを超えたモダンなデザインのものもあります。以前は宗派に基づいて、唐木仏壇か金仏壇かが選ばれていましたが、今は宗派より好みで選ばれる場合もあります。

 

広島は昔から浄土真宗が盛んな土地でした。浄土真宗では金仏壇が良いとされており、そのデザインは総本山である京都の本願寺の阿弥陀堂からヒントを得ているところがあります。当時の人々の本願寺への思いが深かったことを感じます。


◆広島仏壇の歴史

戦国時代

広島仏壇の歴史は、戦国時代にさかのぼります。

 

今から約850年前の鎌倉時代、親鸞聖人によって浄土真宗が開かれました。親鸞聖人は京都で修行されましたが、その後、関東地方で教えを広めました。

 

西日本に浄土真宗がやってきたのは、鎌倉時代末期。現在の広島県福山市にある光照寺は、西日本に浄土真宗を広めるための最初の拠点となったお寺と言われています。

毛利元就、毛利輝元の保護もあり門徒は増え、織田信長が京都で僧侶と戦をしていたころに「安芸門徒」と呼ばれた広島の門徒は、海上から物資の援助などを行ったそうです。

 

そして現在の広島市あたりでの布教の拠点になったのは、寺町の本願寺広島別院と言われています。

 

非常にローカルな話になりますが、広島市内に寺町という地域があります。どうしてお寺が集まっているのかと疑問に思っていましたが、福島正則(江戸時代初期の広島城城主)が寺をこの地域に集めて、今の寺町を作ったそうです。

 

 

現在が過去の延長線上にあると感じますね。

広島城
広島城

江戸時代

福島正則の後、1619年に浅野長晟(あさのながあきら)が紀州から広島城に入場した際に、漆塗りや金箔押しなど多くの職人を連れてきたそうです。その後、さらに高度な仏壇仏具づくりの技術をもとめて、京都や大阪に学びに行った僧侶がその技術を持ち帰りました。これにより広島に腕のいい職人が育ち、広島仏壇を確立していくことができたと言われています。

江戸時代には、幕府の政策で誰もがいずれかのお寺の檀家になる必要があったことをご存じですか。寺請証文といわれるどこの檀家かを証明するものがあり、これでキリシタンではないことを証明したそうです。こうしたことも重なり浄土真宗の広まりと共に、仏壇も日本各地に普及していきました。


明治・大正時代

広島という土地は瀬戸内海という穏やかな海に面しているだけでなく、市内に大きな川が何本も流れています。当時は大きな製品は船で運んだため、広島は地の利を生かして大阪や京都に仏壇を出荷することができました。そのため、明治時代には広島仏壇の生産量が増えていきました。組合も作られ、産業として確立してきたのはこの時代です。高い品質で全国的に認められたこともあり、大正末期には生産量が全国一と言われるほど盛んになりました。


広島 仏だん通り
広島 仏だん通り

昭和~現在

広島市内の繁華街のエリアに「仏だん通り」といわれる通りがあります。この辺りには昔は仏壇職人が多く住み、仏壇店が軒を連ねていたと言われています。現在は、飲み屋さんが立ち並ぶ中に、この通りに面して仏壇店が何軒も並んでいるという不思議な場所になっています。かつては西国街道と呼ばれたとおりだそうで、今は電車通りや新しい平和大通りができて様変わりしてしまいましたが、ここがメインストリートだったことがわかります。

昭和20年の原爆投下では、多くの職人や仏壇店も壊滅的な被害を受けました。残った職人により復興を遂げ、職人の技術を今につなげることができました。

昭和53年には、経済産業大臣指定伝統的工芸品に指定されました。

 


いかがでしたか?

 

身近な仏壇ですが、改めて歴史を見てみると知らなかったことが数多くありました。

この記事を書くにあたって、資料をいろいろ読んでみると「なるほど」の連続でした。

それぞれの時代の人の事情があって、今の仏壇があるのかと納得しました。

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最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

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